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KiKのズンダレ巴里日記
パリからあなたにお届けする、とっておきのくだらない話
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ゲイタウン・マレ地区を歩く 中編
〈おことわり〉
このシリーズ、当初は前編と後編の2部構成にするはずだったのですが、大好評につき中編を加えた3部構成になりました(ウソ。計算が狂っただけ)。

アルシーヴ通り rue des Archives の栄華は1995年、コックスというバーの開店に端を発します。暗くて閉塞感のある、一見当時のゲイバーの王道を行くスタイルの店でありましたが、外装に目立つ赤色を使ったり、インテリアを定期的に変えるなど、よく見ると気合いが入っていました。
それでも、まだまだヴィエイユ デュ タンプル通り rue Vieille du Temple の賑わいには及ばず、孤軍奮闘していたコックスでしたが、程なくして、当時のパリのゲイビジネス界で飛ぶ鳥を落とす勢いだったある人物が、コックスからわずか5メートル先にオープンカフェ という名のバーを立ち上げ、たちまち大成功を収めました。

オープンカフェは昼間から営業し、外から中が丸見えのガラス張りでおまけにテラスも設けるという、当時のゲイバーの常識をことごとく破るコンセプトで、新し物好きのパリの組合員にバカウケ。オープンカフェはアルシーヴ通りと、サントクロワドラブルトヌリという長ったらしい名前の通りの交差点に位置しています。この通りには前回紹介したサブウェイがありましたが、バーよりもむしろ組合員経営のレストランが多く、またいかにもカマ好みの服を売っているブティック、TTBMというエロショップ、そして何よりも、Les mots a la bouche というパリで唯一の(当時)ゲイ向け本屋があり、その本屋のすぐ先には、ヴィエイユデュタンプル通りと、例のサントラルが構えており、この一帯のゲイシーンの中枢を成していました。

オープンカフェは、ドリンクの質が悪かろうが、店員が超無愛想で、その上オーダーして30分以上待たされることもザラにあろうが、パリのオカマのハートを鷲掴みにし、平日も週末も大勢の人でごった返し、あっという間にマレのナンバーワンに登り詰めました。10年ほど前の黄金時代には及ばないものの、オープンは今でもそこそこの人気を保ち、その最大の要因とも言える立地条件の良さは、パリのゲイシーンでは銀座四丁目のドトールに匹敵すると言えるでしょう。

アルシーヴ通りがメインストリート化したのは、コックスとオープンという二台巨頭の「住み分け」も理由のひとつでしょう。オープンが「若者、小綺麗、お花畑とその愛好者」という客層に対し、コックスは「中年、野郎系、高飛車マダム」。

もう一つ、アルシーヴ通りの地位を高めたのが、1997年の出来事である。ドラッグの取り引きが行われているとの疑いで、コックスをはじめゲイのクラブなど数件が警察により営業一時停止を命じられたのである。パリのオカマたちは立ち上がった。日曜日になるとコックスのあるアルシーヴ通りに集まり、テクノをガンガンかけて昼間からレイヴパーティーのようなデモ集会が自発的に開かれるようになった。幸いアルシーヴ通りのこの辺は道の幅が広く、お祭り騒ぎを行うには適していた。なお、これが後に語り継がれる「マレ一揆」である。

アルシーヴ通りの覇権をめぐって対立していた両者だが、2000年代に入り、夏至の日に行われる「音楽の日」で共同イベントを開催することを決定する「アルシーヴの和約」を締結。

ちょっと「カノッサの屈辱」みたいになってきましたね。仲谷昇さんになった気分。

さて、次回後編では、ヴィエイユデュタンプル通りの没落と、ゲイタウンとしてのマレの斜陽化について書きたいと思います。
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